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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)7570号 判決

原告 佐々木トキ子

右訴訟代理人弁護士 風早八十二

同 池田真規

被告 東京商工株式会社

右代表者代表取締役 酒井肇

右訴訟代理人弁護士 市来八郎

右訴訟復代理人弁護士 小池通雄

主文

被告より原告に対する東京法務局所属公証人板垣市太郎作成昭和三九年第二、三五四号建物請負契約公正証書に基く強制執行はこれを許さない。

訴訟費用は被告の負担とする。

本件につき東京地方裁判所が昭和三九年八月一三日になした強制執行停止決定はこれを認可する。

前項に限り仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決を求め、その請求の原因として、

「(一)、被告より原告に対する債務名義として主文第一項掲記の公正証書が存し、同公正証書には、昭和三九年五月一八日原告の注文により、被告が、東京都中野区囲町三番地木造トタン葺二階建住宅一棟建坪延一〇坪五合(以下本件建物という。)の建築を、工事完成期日同年六月三〇日、請負代金二八三、四〇〇円、その支払方法同年五月一八日金二万円、同年同月二一日金一三万円、同年六月八月金五万円、屋根完成時金一万円、便所完成時金一万円、外壁完成時金一万円、内壁(天井)完成時金一万円、床完成時金一五、〇〇〇円、玄関階段完成時金一万円、建具完成時金五、〇〇〇円、完成引渡時金一三、四〇〇円の一一回分割支払の約定で請負った旨及び金銭債務の履行につき強制執行認諾の記載がある。

(二)、しかしながら、被告は約旨に反し、右約定の期限たる昭和三九年六月三〇日を過ぎても工事を完成しなかった。ところで右公正証書においては、附帯条項として、遅くとも昭和三九年七月一〇日までに被告が工事を完成しないときは、原告は直ちに契約を解除し得る旨の定めがなされていたので、原告は右約定に従い、工事未完成を理由に、被告に対し、同年七月二八日付翌二九日到達の内容証明郵便による書面を以て本件請負契約を解除する旨の意思表示をなした。従って、ここに、本件公正証書に基く被告の請負代金請求権は消滅するに至ったものである。

(三)、仮りに右契約解除が認められないとしても、原告は被告に対し、次のとおり、本件請負代金の全額を弁済しているから、本件公正証書に基く被告の債権は消滅している。すなわち、原告は被告に対し(イ)昭和三九年五月一八日金二万円、(ロ)同年同月二一日金一三万円、(ハ)同年六月八日金五万円、(ニ)同年同月二三日頃金一万円、(ホ)同年同月三〇日金一万円、(ヘ)同年七月二三日金五、〇〇〇円を支払い、さらに被告の依頼により請負代金より差引く約定のもとに、被告のため高木製材所に対し(ト)同年七月七日金二九、〇一〇円、(チ)同年同月二七日金二九、八一〇円の工事材料代を立替支払い、なお被告のため(リ)同年七月一五日金一五〇円、(ヌ)同年同月一九日金一五〇円、(ル)同年同月二一日金六五〇円に相当する工事用釘代金等の立替支払をしている次第で、以上合計金二八四、七七〇円の支出はむしろ過払である。

(四)、以上のとおりで、本件公正証書に基く被告の債権は既に消滅しているから、その執行力の排除を求めるため本訴に及んだ。」

と陳述し、

被告の抗弁に対し「被告主張の抗弁事実はいずれも否認する。被告主張の追加工事なるものは、本件請負契約に包含されていた工事であって、本件契約外の工事ではない。」と述べ(た。)

≪証拠関係省略≫

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、「請求原因(一)、(二)の事実は認める。同(三)の事実中(イ)ないし(ヘ)の弁済の事実は認めるが、(ト)ないし(ル)の立替支払の事実は否認する。」と答弁し、抗弁として、「(一)、被告が昭和三九年七月一〇日までに工事を完成できなかったのは、原告に一部代金の支払遅滞があり、さらには工事中原告より材料変更の申出があり、加えて原告より追加注文として、隣接建物部分の改築、同部分より本件建物二階に通ずる階段の取付け及び本件建物二階に押入れの増設等の新規工事の依頼を受け、右追加工事を優先施行することを求められた等の事情によるものであるから、被告には本件工事の遅滞につき責に帰すべき事由はない。従って原告のなした契約解除は前提要件を欠き無効である。

(二)、仮りに被告が原告から本件請負代金二八三、四〇〇円全額に相当する金員の支払を受けたとしても、前記追加工事契約は本件請負契約外の工事契約であるから、その代金は本件工事代金とは別途に支払われるべきものであり、しかも右追加工事は原告の求めにより優先施行したものであるから、その工事代金合計金四八、〇〇〇円も当然優先的に支払われるべきものであるので、被告は右受領金員中金四八、〇〇〇円を右追加工事代金に充当した。従って本件請負代金は未だ金四八、〇〇〇円の限度において残存している。そういうわけで本件公正証書も金四八、〇〇〇円の限度においてはなお債務名義としての効力を有するものである。」と述べ(た。)

≪証拠関係省略≫

理由

(一)、被告より原告に対する債務名義として主文第一項掲記の公正証書が存在すること及び右公正証書に原告主張のとおりの記載が存することは当事者間に争がない。

(二)、そこでまず原告主張の契約解除の当否について按ずるに、本件公正証書に、昭和三九年七月一〇日までに被告が工事を完成しないときは、原告は直ちに本件請負契約を解除し得る旨の解除権留保約款に関する記載の存すること及び原告が被告に対し、右期日までに工事の完成がないとして、同年七月二八日付翌二九日到達の内容証明郵便による書面を以て本件請負契約解除の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

ところで、成立に争のない甲第三号証(本件公正証書正本)を閲見するに、本件公正証書には、前記契約解除の場合、請負人たる被告は未完成の建築物の所有権を放棄するものとするとの記載が存するが、この所有権放棄約款の反面解釈からすれば、本件契約解除の場合は、民法第五四一条の契約解除の場合と異り、遡及的に契約が消滅するものではなく、ただ将来に向って契約が効力を失うのみで、既存の出来高に応じた工事代金債権はそのまま残存する趣旨と解するのを相当とする。なんとなれば、たとい、請負人に履行遅滞ありとはいえ、請負人が何等の代償を得ることなくして、自己の施工した建築物の所有権を失うことは利害調整のうえから均衡を失するというに妨げなく、しかも本件の場合、前記甲第三号証によれば、注文者たる原告は、被告の債務不履行によって蒙った損害は別途に請求し得ることが明らかにされているからである。

そうとすれば、本件契約解除により、契約が遡及的に消滅し、従って施行工事の出来高にかかわりなく請負代金債権も当然に消滅するとの見解に立つ原告の主張は他の判断を為すまでもなく採用に価しない。

(三)、よって次に原告の弁済の主張について判断する。

本件請負工事代金二八三、四〇〇円の内へ、被告が原告より、(イ)昭和三九年五月一八日金二万円、(ロ)同年同月二一日金一三万円、(ハ)同年六月八日金五万円、(ニ)同年同月二三日頃金一万円、(ホ)同年同月三〇日金一万円、(ヘ)同年七月二三日金五、〇〇〇円以上合計金二二五、〇〇〇円の支払を受けたことは当事者間に争なく、≪証拠省略≫によれば、原告は被告の依頼により請負工事代金より差引く約定のもとに被告のため高木製材所に対し(ト)昭和三九年七月七日金二九、〇一〇円、(チ)同年同月二七日金二九、八一〇円工事材料代を立替支払い、なお被告のため(リ)同年七月一五日金一五〇円、同年同月一九日金一五〇円、(ル)同年同月二一日金六五〇円に相当する工事用釘代金等の立替支払をしていることを認めることができる。

以上を総計すれば金二八四、七七〇円となるから、本件請負代金は完済むしろ過払となっているものということができる。

右に対し、被告は、原告より受領した金員の内金四八、〇〇〇円は、被告が原告から本件請負契約とは別途に注文を受けた追加工事の工事代金に充当したものであり、従って本件請負代金はなお金四八、〇〇〇円の限度において残存している旨主張し、被告代表者酒井肇本人は被告の右主張に副うような供述をしているけれども、≪証拠省略≫を参酌すれば、「本件工事の請負代金は当初金二五八、〇〇〇円と定められたが、本件公正証書によってこれを金二八三、四〇〇円に増額したものであり、右増額に伴い被告の主張する追加工事は当然本件請負契約の内容に包含されたのであって、本件契約外において別に追加工事契約がなされたものではない。」ことを認めることができるから、被告代表者酒井肇の前記供述は措信し難く、他に被告の右主張を肯認するに足る証拠はない。

(四)、以上説示のとおりとすれば、本件公正証書に基く被告の請負代金債権は弁済により消滅していることが明らかであるから、本件公正証書の執行力の排除を求める原告の本訴請求は理由ありとしてこれを認容すべきである。

よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、強制執行停止決定の認可及びその仮執行の宣言につき同法第五四八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 古山宏)

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